3.11.に捧ぐ「幸福が遠すぎたら」/寺山修司

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう

さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう

さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません

カテゴリー: 2.詩・短歌・俳句 | 3.11.に捧ぐ「幸福が遠すぎたら」/寺山修司 はコメントを受け付けていません

管理人の気まぐれ談話(5)谷川俊太郎×2=思い出

ただしき教えまっすぐに こころにまいた種子の名は
その名も 古間木(ふるまき)小学校

(青森・三沢市立古間木小学校校歌/作詞・寺山修司)

3月と4月、卒業式、入学式で賑やかなになる季節です。全国の学校で校歌が高らかに歌われます。もしも自分の通った学校の校歌が有名な作家の作品だったら一生の思い出ですね。

ところが校歌をめぐる悲劇もあります。高校時代の同級生の自慢のひとつが小学校の校歌でした。田無(たなし)市立西原小学校校歌(現・西東京市)。作詞は谷川俊太郎。うらやましかったですね。

教室は宇宙船 どこへだってゆける
けやきのこずえに つづくあおぞら
大きなゆめをもとう 西原のぼくとわたし

さらに、隣接する西原第二小学校も谷川俊太郎の作詞。作曲は今年1月5日に亡くなった店主の大好きな作曲家・林光だったというから驚き。

けやきの はかげの ふるいみち
みちはむかしへ つづいてる
わらいながら おこりながら
いろんなひとの ふんだみち
ひとあし ひとあし あるいてゆこう

実は、この2校とも、11年前に取り壊されました。東京都内も児童数の減少が続いています。2校は統合され「けやき小学校」と改名。新校舎と新校歌の誕生で、谷川俊太郎作詞の2つの校歌がこの世から消えてしまったそうです。

教室は小さな国 なんだってできる
ひとりとひとりが 力合わせて
正しい世界めざす 西原のぼくとわたし

最後の卒業生はもう22歳なんですね。大人になった「ぼくとわたし」の目に
今のこの「小さな国」は、どう映っているのでしょうか。

私には忘れてしまったものが一杯ある。
だが、私はそれらを「捨てて来た」のでは決してない。
忘れることもまた、愛することだという気がするのである。
・・・・・・寺山修司「ポケットに名言を」(から抜粋)

カテゴリー: 8.管理人気まぐれ談話 | 管理人の気まぐれ談話(5)谷川俊太郎×2=思い出 はコメントを受け付けていません

更新情報(2012/03/08)

生前の書籍の中にある、
「戦後詩」(紀伊国屋書店)
「青春の名言」(大和書房)
をそれぞれ追加しました。

カテゴリー: 0.更新情報 | 更新情報(2012/03/08) はコメントを受け付けていません

戦後詩 ユリシーズの不在

1965年11月25日初版/紀伊国屋書店(定価300円)


64の詩を引用しながら戦後詩について論じた一冊。29歳の作品。1993年5月、筑摩書房は文庫化し復刻しています(ちくま文庫)。

目次
第一章 戦後詩における行為
1代理人
2書を捨てるための時代考察
3われわれはもっと「話かける」べきではないか。
4実証不能の広野へ
5自分自身に失踪

第二章 戦後詩の主題として幻滅
1「荒野」の功罪
2私は地理が好きだった
3おはようの思想化

第三章 詩壇における帰巣集団の構造
1読みたいの、読まれたいの
2今夜限り世界が・・・?
3詩人mの公生活

第四章
飢えて死ぬ子と詩を書く親と
1人生処方詩集
2難解詩の知的効用

第五章 書斎でクジラを釣るための考察
1戦後詩の代表作
2西東三鬼、塚本邦雄
3星野哲郎
4谷川俊太郎、岩田宏
5黒田喜夫、吉岡実

この本を詩集がわりに読もうとする人たちのためのあとがき
この本のしめくくりとしての私自身のためのあとがき


 

「この本を詩集がわりに読もうとする人たちのためのあとがき」では、本の中で取り上げている64の詩のそれぞれの掲載ページが記載されています。読者が自由に読みたい詩だけが読めるように工夫されています。エーリッヒ・ケストナーの人生処方箋詩集を模倣したようです。


この本のしめくくりとしての私自身のためのあとがき

批評とは何という醒めた仕事だろう。
私はこれを書きながらクリスチファ・オデットのように、「醒めて歌え!」という文句を何べんも繰り返してみたが、やっぱり「歌う」ことなどはできないのだった。私はひとの詩についてばかり書いてきたが、本当は途中から自分自身のことを書きたい欲望に何度も襲われる始末だった。
「観察」というのは所詮、他人の仕事である。私はこれを書きながら、終始他人である自分を感じて苛立たしかった。たとえば木原孝一は「戦後の詩壇」という論文の中で「一九五六年以来、詩壇は主題を失いつつある」と書いている。だが、私には「詩壇」などというものを詩を書く主体として考えることはできなかったし、そうした総括的な展望の仕方が似合っていなかった。
だから私が書いたのはけ結局、戦後詩の(戦前詩との対比におけるというような歴史的な意味づけではなくて、同時代の詩人たちへの「話しかけ」にすぎない。
それはきわめて孤独な仕事であった。そして、「孤独の難しさは、それを全体として処するところにある」かぎり、私の批評もまたたやすく受容れられないものと思われる。
ここに引用した詩の数倍の「戦後詩」を読んで、私の感じたことは何よりもまず、詩人格の貧困ということであった。詩人たちはみな「偉大な小人物」として君臨しており、ユリシーズのような魂の探険家ではなかった。詩のなかに持ちこまれる状況はつねに「人間を歪めている外的世界」ではあっても、創造者の内なるものではないのだった。私がこのアドリブ的な詩論の副題に「ユリシーズの不在」とつけたのはそうした詩人格への不満に由来している。せめて、私だけはユリシーズ的な詩人格を目指したいし、愛される詩人になりたい。おいや、愛される詩人などよりは畏れられる詩人になりあいと思うのである。
だから、この本の続きの仕事を、私は私自身の詩の実作によってはたすつもりである。まだ何ひとつとして終わったわけではない。最後に、この本を書くことを進めてくださった前紀ノ国屋書店出版部の村上一郎さんにおれをいいたい。村上さん、どうもありがとう。

カテゴリー: 1.書籍 | 戦後詩 ユリシーズの不在 はコメントを受け付けていません

管理人の気まぐれ談話(4)家出のすすめ(ペンギン編)

東京の葛西臨海水族園から子どものペンギンが逃げ出しました。水族館という「家」に戻った方が幸せなのか。それとも本当の「ふるさと」に戻った方が幸せなのか。

寺山修司は、著書「家出のすすめ」で、本来「家」とは「在る」ものではなくて、「成る」のです。と記し、若者は一度、家出をしなければならない、と呼びかけました。当時(昭和60~70年代)のたくさんの若者が、田舎から家出して東京に出てきたといいます。葛西臨海水族館の若きペンギンの脱走報道を見て、広島で起きた刑務所脱獄騒動が頭をよぎりました。ペンギンも脱獄犯も、ただただ自由になりたいから「外」に出てしまったんではないでしょうか。

・・・・・・どんな鳥だって、想像力より高く飛ぶことはできないだろう。
・・・・・・「ロング・グッドバイ」/寺山修司

 

カテゴリー: 8.管理人気まぐれ談話 | 管理人の気まぐれ談話(4)家出のすすめ(ペンギン編) はコメントを受け付けていません