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赤糸で縫いとじられた物語

昭和58年10月、没後5ヶ月後に発行されたシリーズが 新書館から出版された「寺山修司作品集」(写真)です。 第1回配本「赤糸で縫いとじられた物語」は、彼の童話を集めたものです。 没後に発行された復刻本として最初に入手しました。 寺山ワールドを短歌、俳句、映画、演劇を通してしか見ていなかった小生にとって 衝撃的な世界でした。寺山ワールドに取り憑かれる一因となった書籍です。 目次: 壜の中の鳥 消しゴム まぼろしのミレナ 数字のレミ 踊りたいけど踊れない 1センチジャーニー 思い出の注射します かくれんぼの塔 イエスタデイ 海のリボン 影の国のアリス 書物の国のアリス 解説・悪意の変貌/童話作家、寺山修司について(高橋康也) 寺山修司が一冊の見事な童話集を遺していることは、 案外知られていないかもしれない。 演劇・映画・短歌・エッセイなど、往くとして可ならざるはなかった彼にとって、 童話とはもう一つの征服されるべき領土にすぎなかったとも言える。 あるいは、演劇や映画という気苦労の多い世界での活動からの、 それは軽やかな息抜きでもあったろう。 しかし、これらの童話に、私は寺山修司の最も純粋な状態における魂を見る。 もっといえば、彼の夢を出発点において支配したであろう原風景と同時に、 その夢の特権的に実現されているかたちが、そこにあるような気がしてならない。 英文学者・高橋康也  

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第一回寺山修司祭記念「五月の伝言」

寺山修司一周忌を迎えた昭和59年5月。 地元青森で開催されたのが「寺山修司祭」でした。 寺山修司祭実行委員会が発足。 前夜祭 ●5月2日/シンポジウム(弘前市) 「われに五月を」寺山修司祭 ●5月3日/映画「書を捨てよ町に出よう」上映 ●5月4日/映画「田園に死す」上映とシンポジウム ●5月5日/演劇特集(八戸小劇場) ビデオ作品を観る会 ●5月3日/レミング/人力飛行機ソロモン ●5月4日/天井桟敷アンソロジー/寺山修司・谷川俊太郎ビデオレター 実験映画上映と寺山修司を偲ぶ夕べ ●5月3日/実験映画「トマトケチャップ皇帝」上映 ●5月4日/実験映画「マルドロールの歌」上映 ●5月5日/実験映画「迷宮譚」上映 ●5月6日/実験映画「消しゴム」上映 総打ち上げ/田中泯と福士正一の舞踏 そのとき発行されたのが「第1回寺山修司祭/五月の伝言」(写真/右)と 翌々昭和60年の「第2回寺山修司祭/五月の伝言」(写真左)です。 29年前に発行された「第1回五月の伝言」の中には、 谷川俊太郎、原田芳雄、三上寛など多くの方の 思い出が綴られています。その中から 寺山修司の恩師である中野トク先生(三沢第一中学校)の 思い出の文章を紹介します。 「飛翔する/中野トク(青森県児童文学研究会員) 寺山修司が高田馬場駅近くに下宿していた昭和30年6月6日の夜 教え子の大学生二人を伴って訪ねた日の記憶は鮮明である。 二十九年早大に入学した直後の手紙は頭が痛い、どうしたことかとあり、 川口市の病院に入院、続いて立川錦町川野病院に 混合性腎臓炎のため入院、退院して下宿を替え、 高田南町に落ち着いた時である。 庭に面した明る部屋に机が据えられ壁に 「手押し車どこを押せども 母まづし」と、 クレパスで書かれた色紙が飾られてあった。 洋服箪笥なども据えられ、並々ならぬ母上の愛情が 感じられたものである。 彼もこの部屋が気に入っていて、是非お立ち寄り下さいと 手紙に書いてある。 私達三人をいそいそと迎えた彼は軽い調子で … 続きを読む

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推薦「寺山修司の迷宮世界」

4月1日、洋泉社MOOK 「寺山修司の迷宮世界」が発売されました。 店主も三宮ジュンク堂で入手しました。 とても、わかりやすい特集といえます。 背表紙のキャッチフレーズは 「時代を挑発した異端者の全貌」 お薦めの特集です。1,680円

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言葉が眠るとき かの世界が目ざめる

1972年112月20日初版(定価1200円)新書館 (管理人所蔵/1974年8月20日第三版) 暴力論 勝田吉太郎(京大教授・政治思想史)/1971・12・東京12チャンネル 抵抗論 三島由紀夫/1970・7・「潮」 読書論 鶴見俊輔/1969・9・「思想の科学」 放浪論 深沢七郎/1971・12・「現代」、1972・3・「週間小説」 映像論 篠田正浩/1971・5・「キネマ旬報」 戦後デモクラシー論 野口武彦/1965・12・「思想の科学」 幸福論 羽仁 進/1969・2・「風景」 エロス論 野坂昭如(司会・小川徹)/1971・3・「映画芸術」 前衛芸術論 岡本太郎・金子兜太/1969・1・6・「週間読書人」 都市論 黒川紀章・佐藤忠男・岩田宏・浦山桐郎/1966・4・「現代詩手帖」 関係論 宇佐美圭司・高松次郎・原広司 劇場論 原広司・中平卓馬・磯田光一・渡辺昭義・芥正彦・黒木和男/「地下演劇」 ※あとがき、解説なし

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十五歳の詩集

1975年7月30日初版(定価450円)サンリオ出版 目次 十五歳の詩集 世界で一番遠い土地へ 時には母のない子のように かなしみ 何にでも値段をつける古道具屋のおじさんの話 赤とんぼ 作品1番 お月さましか話し相手がいなかったら 劇場 髪 翼について まだ思い出だった頃 忘却 みじかい別れのスケッチ 引き算 思い出すために 赤づきん 十一月の思い出 作品Ⅱ番 時は過ぎゆく 作品Ⅲ番 愛さないの愛せないの カウボーイ・ポップ しみのあるラプソディー 愛する 汽車 友だち ジゴロになりたい ぼくのマリー 口 輪舞 私のイソップ 解説(別役実) 巻末の解説は同じ劇作家の別役実氏によるもの。寺山修司の「詩」「メルヘン」に関しての別役氏らしい分析は、寺山ワールドの根源にあるものを指摘していると思います。抜粋せず、全文を記載します。 『解説』 別役実 寺山修司氏の詩に使われている言葉は、たいていありふれた、いつもその辺でお目にかかっているものばかりなのだが、それを氏がピンセットでつまんで、氏特有の「詩」という装置に仕掛けると、とたんにその言葉が本来持っている最もナイーブなものが、私達の前に開けてくるような気がする。それはたとえば、野の草花ばかりを扱う、腕のいい生花の仕事に似ているかもしれない。氏はその草花を、何事かのために奉仕させるのではなく、生花という装置を通じて、それが既に内包しているものを、ただ見出そうとするのである。 ドラマは、言葉それ自体の内に、深く内蔵されている。ただそれは、長い間の私達の酷使から自らを保護すべく、硬い表皮で幾重にもおおわれているのである。つまり、氏の「詩」という装置は、この硬い表皮を一枚一枚はぎとってゆき、その内奥に眠る最もやわらかな実質を、私達の目の前に解き放つためのものに他ならない。 『一本の樹は、歴史ではなく、思い出である。一羽の鳥は、記憶ではなくて、愛である。一人の誕生は、経験ではなくて、物語である』と、氏は言う。怒らくこの場合、歴史であり記憶であり経験であるものを、思い出であり愛であり物語であるものに、言い換えること自体に意味があるのではない。ただそう言い換える作業を通じて、一本の樹であり、一羽の鳥であり、一人の人間であるものの内奥に眠る、あらゆる言葉をこえた、やわらかな或る実質を、言い当てようとしているのである。言ってみれば、思い出も愛も物語も、全てはこれを言い当てるための仕掛けのひとつに過ぎない。私達は、一本の樹が思い出であることを知って感動するのではなく、一本の樹がまさしく一本の樹であることを知って感動するのである。 … 続きを読む

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