演劇

アングラ演劇の代表的な「天井桟敷」を率いていました。昭和43年に発行された単行本「さあさあお立ち会い・天井桟敷紙上公演」で天井桟敷の原点について語っています。

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出発の日誌
ある日、私は考えた。少年時代に観た見世物小屋のことが、どうしても忘れられない。火を吐く男、人間ポンプ、ろくろ首、熊娘、そして侏儒や怪力男や美少女が、二十才になっても、しばしば私の夢の中にあらわれては、奇妙な音楽をかきならすのはなぜであろうか。ロートレアモン伯の詩「マルドールの歌」。その中の、

「国から国へとさすらって、こどものときから一種の狂気を育て、また、極端な本能的残忍性をもっていて、じぶんでも恥じているが良心も苦にするあまり死んでしまったのだと信じている者もある。また若かりし日に、ひどいあだ名の烙印で辱しめられたせいなのだと主張する者もいる。つまり彼の痛めつけられた誇りは、幼にして早くも現れ、しだいに増してゆく人間どもの邪悪さの証拠をまざまざとそこにみせるのだ。そのあだ名こそは、吸血鬼。ああ、お母さん、ぼく、怖い」

という一節に接して、「これは子供の頃観た、私の見世物幻想ではないだろうか」と思っていた日々がなつかしい。しかし、近頃劇場に芝居やショウを観にいっても「かわいそうなのは、この子でございます」式の見世物の伝統はうすれ、いたずらに、「しっかりものの世直し思想」ばかりが支配しているような印象をうける。
どうやら芝居は「見られるもの」から「見せるもの」へと交代するときに、一番大切なものを失ってしまったような気がするのである。「奇異珍事録」(木室卯雲)などを読むと「奇獣をとらえた力持ち、米俵を持って曲をなした力婦や人間大砲」のことが面白おかしく書いてあるが、現在のヒーローやヒロインは、そうしたロマネスクとは縁遠い「なやまる現代人」ばかりで、ちっとも夢への渇きをいやしてくれないのである。男装劇の「宝塚」、女装劇の「歌舞伎」には、わずかにそうした名残りを見て取れるが、大半のものは、とくに新劇は、あまりにもみすぼらしい。
そこで私は、自分で見世物の復権をはたしながら、「見られる見世物」の悲しみを「見せる見世物」のヴァイタリティにうつしかえてみたい、と思うようになった。まず、私のマンションの二階を演劇実験室として改造し、「天井桟敷」と命名して、そこで見世物の研究をはじめようと思った訳である。主に、大学生を中心にして芝居やショウ、芸能百般に興味のある連中が集まってくるようになったのは、今年の一月からである。新聞に「怪優奇優美少女募集」と広告を出したら、そうした連中もぽつぽつと
訪ねて来るようになった。私は二ヶ月に一本ずつ台本を書き、隔月で実験公演をしてゆく。そして、それが一応の成果を見せたところで、天幕小屋でも建てて、ジンタと呼び込みで本公演をしようというのが、今のところみんなの意向である。

たとえば、浪花節の手法で「青森県のせむし男」というのを4月にやる。これは、説教浄瑠璃から雲右衛門節、高峰琵琶の時代の切々たる「語り」を生かせる叙事詩風の台本による怪劇で、美少女とせむしとの関係の中に、ヴィクトル・ユーゴーが書き尽くせなかった反時代的な幻想を盛り込みたい、という考えである。美少女の志願者は一杯いるのだが、本物のせむし男がいないので、そのスカウトに奔走中というところだ。以下、東大の電気工学の学生らを中心にして、電子計算機によるメロドラマ「ハートブレイクホテル」というのも計画している。メロドラマの情念構造をメカニズムがどのように分析できるか。(私の考えでは、案外、電子計算機も、涙もろいだろうとたかをくくっているが)

犬、猫、豚、羊、蛇など動物ばかりしか出てこない幻想劇「マルドロールの歌」も、動物使いの高橋秀雄さんの協力を得て、準備にとりかかったところだ。獣界には俳優座養成所のようなものがないので、演技指導の習得に時間がかかる。そんな訳で今から動物指導にかかったところだが、動物を貸して下さる方がいたら、実験室天井桟敷に電話すてくださると便利である。ほかに、全東京の男色家たちにささげる女装現代劇「毛皮のマリー」、アメリカンフットボールのルールにしたがって行う即興劇「歌いながら醒めよ」、仮面による霊験劇「猿股三吉、七つの大罪」とか、手術場面実演つきの呪劇「お医者さんごっこ」、怪優奇優巨人天井桟敷総出演の「日本千一夜」、ミュージカル「あんま歌留多、花札伝奇」、占劇「恐山」。レパートリーは尽きない。

ただ、「見せる」ということと「見られる」ということは、これは一枚の銅貨の裏と表のようなものであって、俳優たちがどんなに主体的に生きていこうとしても、この全面を十全にあらわすためには、人生の生輪といったものが必要なように思われる。若くしてナルシズムの旺んな俳優たちは「見せる」ことばかり熱中して、そこに存在していない世界の中に耽溺し、見る側からすれば何一つ「見えていない」といったことになってしまうことさえある。若い俳優の自意識が、ときにまったく上げ底の人間しか演じられないのは「見られる」要素を忘れてしまっているからである。だが、老優の「見せる」ことを忘れた被害者的「見られ方」というのも、観客にすれば不愉快なもので「一体何を見せたいのだ」と声をあげたくなることさえある。「かわいそうなのは、この子でござい」とか「親の因果か子に報い」といった見られる思想を、どこまで見せる思想と統合できるかに、私たちのテーマがかかっている訳である。こうして、天井桟敷は出発した。といってもその中味は、私とデザイナーの横尾忠則と早大中退の演出家志望の東由多加、早大生で私と「あなたは」などのテレビ番組を作った高木史子の四人で、あとは家出少年や、フーテンばかりであった。
(中略)
かつて生首娘、熊娘と蟹娘、三人猿(好色畸人見世物談義)が英雄であった時代があり、やがて畸型は消え、コンクリートスマイルの平均的な無性格という新畸型種がはびこるような状況がやってきた。そこでは、平和への願いが生の充足としてではなく、単に「長生き」の問題としてのみしか扱われなくなった。だから血が出たというだけで羽田事件が物議をかもし、「流血」が、無事の暗黒以上の非難を浴びたりするのである。
「生が終わって死がはじまるんじゃないよ。生が終われば死も終わるんだ。死はいつでも生の中に包みこまれているんだから」
これは「天井桟敷」の「花札伝綺」の中の葬儀屋の女房おはかの台詞である。私たちは死をはらまないで生を生かすことは出来はしないだろう。運動の中に於いても、それは自明の理、というものである。「天井桟敷」の幻想の座標軸は、いわばそこを原点として始まっているのである。