絶筆

絶筆/墓場まで何マイル?

パリの古本屋で、アンドレ・シャボの撮った「Le petti monde D’outre-tombe」という写真集を買った。 どのページをひらいても、墓の写真ばかりが載っているというのが、心にかかったのだ。
金庫のような墓、彫刻のような墓、アルバムの一頁をひらいたような墓、天使が腰かけている墓、胸像の墓。様々な墓は、私にとって、なかなか誘惑的だった。
私は学生時代にきいたジョン・ ルイスとM・J・Qの「葬列」という曲を思い出した。
それは、ロジェ・パディムの「大運河」という映画の中に用いられたジャズで、少しずつ、次第にたかまってゆく曲であった。まだ若かった私は、「死がこんなに、華麗な訳はないさ」と、たかをくくっていたものだ。
だが「、今こうして病床に臥し、墓の写真をひらいていると幻聴のようにジョン・ルイスの「葬列」がきこえてくる。

寿司屋の松さんは交通事故で死んだ。ホステスの万里さんは自殺で、父の八郎は戦病死だった。 従弟の辰夫は刺されて死に、同人誌仲間の中畑さんは無名のまま、癌で死んだ。同級生のカメラマン沢田はヴェトナムで流れ弾丸にあたって死に、アパートの隣人の
芳江さんは溺死した。
私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからとい言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分。

「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に
名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づ
けられる。」ウイリアム・サンローラン

週間読売・昭和58年2月13日
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彼が亡くなった昭和58年11月。現代詩手帖が臨時増刊「寺山修司」を発行。その中で、「彼が死とどうむきあったのか」と題し、詩人の谷川俊太郎さん、九条映子(今日子)さん、担当医の3名が対談しています。以下は、谷川俊太郎のことばを抜粋したものです。

ぼくの印象では、彼と一緒にやったビデオレターとか、週間読売に買いたほとんど絶筆の「墓場まで何マイル?」とか、彼は死についてずいぶん触れているし、友だちにはかなり気軽に「もう永くないんだよ」って言っているけれども、実際には彼が自分の死を内面化したことは、あまりなかったと思うんですよね。

「墓場まで何マイル?」は、ちょっと「ええかっこしい」だったと思うよ。どこが本音なのか、つまり彼は<私>を語ることを一貫して軽蔑し韜晦し、拒否した人でしょ。最初の歌集のあとがきでそう書いてあるわけだから。その矛盾がどこで飽和点に達するか、という問題はあったはずなのに、それに至る前に死んじゃったのね。
谷川俊太郎談