管理人の気まぐれ談話(9) ♪手のひらを端末に透かしてみれば

【大垣共立銀行(岐阜県大垣市)は11日、キャッシュカードや通帳を持ち合わせていなくても現金自動預払機(ATM)を利用できる「生体認証ATM」を今秋から導入すると発表。手のひらを装置にかざすだけで個人を識別できる。カードを不要にしたATMは全国で初めて】

クレジットカードの普及でキャッシュレスが広がったと思ったら、今度は携帯電話で支払決済が可能になり、財布レスの時代になりました。今度は、自分の体(手のひら)が印鑑に代わり、キャッシュカードにも代わる。驚く間もなく、Googleがとんでもないメガネ型コンピューターを開発したと発表。もうこうなったら、便利な装置を人間に埋め込んで、何も持たないで生活できるようにしてみたらどうだろうか。

■「てのひらは、しばしば自身の曇り鏡であり、あてさきのない葉書であり、市街図であり、そして自分の個人史である」黄金時代(寺山修司)■

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管理人の気まぐれ談話(8) 地球滅亡まで、あと何日?

1974年。小学校時代に放映された宇宙戦艦ヤマト。管理人もテレビにクギ付けになった一人です。番組の最後に流れるテロップ。「地球滅亡まで、あと○○○日」。もしも地球が滅亡したらどうなるんだろうって、小さいながら疑問を抱いたのを覚えています。今朝、録画しておいたキムタク主演の実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」を、オソルオソル観ました。セリフのクサさ、演技のクサさ、セットのクサさが、まるで戦闘シーンの砲弾のごとく、次々と襲いかかってきました。まあ予想していたので最後まで鑑賞。日本初のSFエンターテイメントに挑戦した映画としては、十分楽しめる映画でした。

でも気になったのは「自己犠牲」の強調でした。「地球を守るためには命は惜しまない」という大義名分の上に、主人公、そして彼を取り巻く戦友が、次々と「死」を顧みず敵に突撃する。挙句の果てには、敵のガミラスの戦闘機ですら、ヤマトに体当たり攻撃してくるありさま。旧日本軍の特攻隊とどこが違うのか、悩んでしまいました。阪神タイガースの元監督だった吉田さんがフランスの野球チームの監督に就任したときの話。送りバントのサインを出しても、ほとんどの選手がサインを無視してしまう。選手に問いただすと、なぜ自分が犠牲(アウト)になってまでランナーを送らなければならないのか、理解できないといわれたそうです。国柄によって「自己犠牲」の受け取り方が違うんですね。人類の最後の「希望」を託された宇宙戦艦ヤマト。結局、キムタク一人がヤマトといっしょに敵に体当たりして地球を救います。星の王子さまを書いたサン=テグジュペリの言葉。「人間が最後にかかる病気は、希望という病気だ」。

■「人はだれでもさよならをいうときには希望をいだく。たとえそれが人類最後の病気だとしても、「こんにちは」には無いはかないのぞみについて、ぼくはときどき考えないわけにはゆかないのである」/ふしあわせという名の猫(寺山修司)■

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管理人の気まぐれ談話(7)97歳日本刀の男、殺人未遂で逮捕

『97歳日本刀男、歩行器で来て女性切り付ける。殺人未遂の疑いで緊急逮捕』(読売新聞)。いやはや、なんともすごい老人力のニュースが飛び込んできました。今回は店主のコメントを控え、寺山修司の『映画技師を射て』から抜粋します。まるで40年前に今回の事件を予想していたかのような文章。ただただ驚きです。

■老人は大抵さみしそうな顔をしながら復讐の機会をうかがっているというのが私の考えである。彼らは弱々しく慢性病を訴えて、福祉施設の不備を申し出るが、力を与えたらたちまち「自分の死で、死者を包もう」と考えているのは自明のことである。九十七歳の老詩人にだってもちろん、油断は禁物。歴史の年表をさかのぼれば一目瞭然だが、戦争をひき起こしてきたのは、つねに老人たちであったのだ。■

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書物の中のアリス

切り抜かれたおばあさん

そのハサミは、見たところ、ぼくふつうのハサミと変わったところがありませんでした。そこで、アリスは、もしかしたら古道具屋のおじさんにだまされたのではないかと思いました。 なぜかといえば、おじさんはお釣銭をくれなかったからです。アリスは、ハサミを買ったお釣で猫のけむりに、ビスケットを買って帰るつもりでした。
そこで、「お釣は?」ときくと、古道具屋のおじさんは首をふって「ない」と答えるのです。
アリスは、びっくりして、
「こんな錆びた中古のハサミがそんなに高いの?」
とききました。するとおじさんは言いました。
「これは、ただのハサミじゃないからね」
それからアリスの手にもっていたハサミをちょっと手に持って、
「ちょっと見てごらん」
と言いながら、砂男のように目玉をギョロつかせ、かたわらの絵本をとりあげました。それは七ヶ月も売れ残っている鳥の絵本で、表紙には印刷のずれた一羽のずれたモズのペン画がのっていました。おじさんは、その表紙のモズをじっと見ていましたが、おもむろに、ハサミで切り抜きはじめました。すると、切り抜かれてゆく途中からペン画のモズはバタバタと羽ばたきはじめ、切り抜き終わったところで一声高く、チチチチッと叫んだかと思うと、古道具屋の店先から、青空めがけて、飛んでいってしまったのです。

「どうだね?」
と得意そうに、古道具屋のおじさんは言いました。
「ものハサミに切り抜かれたものは、みんな生き返るようになっているのさ」
それで、アリスはこのハサミを買うことに決めました。
「けむりや、とてもおもしろいハサミを買って来たのよ」
と、アリスは言いました。
「さあ、見ててごらん。おまえのお友だちを作ってあげますよ」
アリスはアパートの寝台に腰かけて、猫のけむりにそう話しかけました。それは猫のけむりが、上手に腕を組めるようになったことへのほうびのつもりだったのです。猫のけむりは、アリスの買ってきたハサミを、こわがって、一度は寝台の下に逃げこみましたが、それが自分のひげを切るためのものではないとわかると、安心して近よって来ました。

アリスは、「猫の絵本」をひらいて、上機嫌で、そこにのっている猫の絵を切りはじめました。一匹、二匹、三匹。たちまち、部屋は猫でいっぱいになってしまいました。切り抜かれた猫たちは、けむりとそっくりの声で、ミャーオ、ミャーオとなくのでした。
「さあ、けむり。これでおまえはもう、ひとりぼっちじゃなくなったわね」
と、アリスは言いました。
「これからは、月夜にヒステリーを起こして、ヴァイオリンの上を飛んだりはねたりしないでちょうだいね」
切り抜かれた猫たちは、けむりのミルク皿に集まって、ごくごくとミルクを飲みはじめました。
でも、かなしいことに、表は、ほんものの猫そっくりなのに、裏には英語の文字が印刷されているのです(たぶん、裏のページは著者の解説かなにかだったのでしょう)。

そのあくる晩、アリスは、こんどは絵本の最後のページにのっている、孤独なおばあさんを切り抜くことにしました。猫の煙に、たくさんの友だちができたため、アリスの相手をしてくれなくなったのが原因です。アリスは、おばあさんを切り抜いて、その友だちになろうと思いつきました。見たところ、そのお婆さんは、茎やかましくもなさそうだし、ホウキにもまたがっていなかったので、安心だったのです。

アリスは、ハサミを成就に使って、お婆さんを切り抜きはじめましたが、ペン画のお婆さんは、なかなかデリケートに描かれていたため、ハサミで輪郭を切ってゆくのは、思ったよりむずかしいことでした。
そのうち猫のミルクの鍋が煮立って、ぐずぐず音を立てはじめたので、アリスはそっちのほうへ気をとられてしまい、手もとがすべってお婆さんの鼻を切り落としてしまいました。
「あら、まあ、ごめんなさい!」
びっくりしたアリスは、切りそこなった鼻を、ノリでくっつけようとしたり、セロテープでつなぎあわせようとしたりしてみましたが、うまくいきません、とうとう、鼻のないお婆さんを切り抜いてしまったのです。
切り落とされた鼻のほうはどうなったか、と言うのですか? それは、アリスの手の上で、かなしそうにひくひくと匂いを嗅ぎまわっていましたが、どこかへ行ってしまいました。顔のない鼻の怪奇な放浪の話は、またべつの機会に書くことにしましょうね。さて、切り抜かれたお婆さんは言いました。
「アリスや、おまえは絵ばかり切り抜こうとするから、そんな失敗をするのだよ。文字を切り抜きなさい、文字を。絵は、目に見えるものだけしか生き返らせることはできないけれど、文字はどんなものが飛び出してくるか、楽しみがいっぱいあるからね」
言われてみると、その通りでした。試みにアリスは、かたわらの童話集を手にとって、

もしも願いごとがお馬だったら
浮浪者はそれに乗るだろう
もしもかぶが時計だったら
ぼくはそれを腰にさげるだろう

という一篇の唄の最初の二行にハサミを入れてみました。すると、本のあいだから馬にまたがった一人の浮浪者が出てきて、「ありがとう、ありがとう」とアリスに手をふりながら、遠ざかって行くのでした。
そこで、アリスは三行目は慎重に(そして、ほんの少し意地悪に)かぶという二文字だけ切り抜いてみました。すると、小さな本のあいだから、本より大きくて真赤なかぶが、ころがり出てきました。そこで、アリスは、こんどは、時計という二文字を切り抜いてみました。すると、やっぱり音字ことが怒ったのです。本のページとページのあいだで、チック、タック、本全体をゆるがすような鼓動がはじまり、ピカピカの懐中時計がすべり落ちて来たのです。
「まあ、死んだおじいちゃんのよりも立派だわ」
とアリスは言いました。でも切り抜かれたお婆さんは、あんまりいい顔をしませんでした。
なぜなら、この詩の意味は「かぶ」が「時計」と同じものだとしているのであって、ほんとうは「時計なんか存在していない」という詩だったからです。それなのに、アリスは欲ばって、かぶも時計も両方手に入れてしまったのです。それからアリスは、すっかりおもしろくなってしまって、いろいろな文字を切り抜いてみました。羅針盤、モロッス犬の歯で作ったボタン、緑色の髪の少年の人形、ねじ巻き式のお母さん、まだ色を塗っていない風見鶏、笛吹きパイパー、レース編みの暦・・・生き返ったものたちで、アリスの部屋はいっぱいになってしまいました。

「わあ、出てきた」「わあ、楽しいわ」と、アリスはハサミを持ったまますっかり夢中でした。猫のけむりは、アリスの切り抜こうとする本を飛びこえては、ほんの少しやきもちをやきながら、それでもアリスといっしょになってはしゃいでしました。

問題はそのあとです。さまざまな文字を切り抜いているうちに、アリスは、ほんのちょっとした好奇心から「愛」という字を切り抜いてしまったのです。
もちろんアリスは愛がどういうかたちをしているか見たことがないので、とても興味があったのと、なんでも生き返らせるハサミをちょっと困らせてやりたいという、いたずらっ気がはたらいたのかも知れません。ハサミは、愛という字をゆっくり切り抜いてゆきました。そして切り抜き終わったとき、アリスは思わず、
「あっ!」
と叫んで、気を失ってしまったのでした。
さて、アリスの切り抜きのかなしいお話は、この先を読者のあなたにつづけてもらわなければならなくなりました。愛という字は切り抜かれて、いったいどんなかたちになって出てきたのでしょうか?

1 得体(えたい)の知れない(キングコングのような)怪物であった。
2 なにも出てこなかった。
3 あかい林檎がころがり出てきた。
4 ひとすじのけむりが立ち上った。
5 愛という活字のままであった。

こたえは、あなたのノートのいちばん最後のページに書きこんでおいてください。

アリスが消しゴムに恋をした

そうです。これは消しゴムに恋をしたアリスが書いた詩なのです。

消しゴムは
何でも消すことができます
おしゃべりなみつばちやハンプティ・ダンプティのおじさんを
消してしまうことができます
アリスが猫のけむりをつれて隣の庭まで
藺心草(いぐさ)をぬすみにゆく夜
見張りのお月さまを消して
まっくらにしてしまうこともできます

アリスのきらいなものは
なんでも消してしまうことができる
三月も七月も九月も
七日も十一日も二十三日も
ありとあらゆる日付を消してしまって
なにもかも思い出に変える
消しゴムは魔法の力をもっているとも言えます
アリス
と書いて 消すと
この世からアリス一人がいなくなる
消しゴムは
ときどき殺し屋でもあるのです

でも
消した余白に、また
アリス と書く
そしてまた消す また アリス と書く
そしてまた消す また アリス と書く 消す 書く
すると
アリスはいつまでもそこにいられるのに
計ゴムはだんだんすりへって
なくなってしまうのです

消しゴムがかなしいのは
いつも何か消してゆくだけで
だんだんと多くのものが失われてゆき
決して
ふえるということがないということです

1
2
3
4
5
6
7

上に6行分のすばらしいことばが書いてあったのを、消しゴムが消してしまいました。さあ、なんて書いてあったのでしょうか? 思い出そうとしてもアリスは思い出すことができません。どうかかわりに考えてあげてください。

ひとはだれでも、実際に起こらなかったことを思い出にすることも、できるものなのです。

 

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管理人の気まぐれ談話(6)吉本隆明『言葉の幹と根は沈黙』

16日に飛び込んできた2つのニュース。その一つ。「被災地のがれきを受け入れる」と静岡・島田市、千葉・市川市、鳥取・米子市が方針を発表しました。被災地から遠く離れた自治体でも受け入れを求める声が相次ぐのではと期待されています。

もうひとつは戦後思想界をリードしてきた吉本隆明さんの訃報。彼のことばのひとつに、『言葉の幹と根は沈黙』というのがあります。吉本さんはコトバを二つに分類しました。たとえば、「私はがれきを受け入れるのに賛成です」と自分の思いを口に出して言語化したとします。これを「指示表出」としました。これに対し心の中で「がれきを受け入れてあげたい」と、人に言わないでも発しているコトバを「自己表出」としました。この後者のコトバにしない自己表出、つまり「沈黙」こそがコトバの根幹だといっています。

10年分以上といわれている被災地のがれき。「なんとかしてあげたい」と心の中の叫んでいる人は多いでしょう。今回の島田市、市川市、米子市の3つの自治体の決断をきっかけに、さらに多くの行政が「沈黙」を破って欲しいものです。

・・・たとえ世界の終わりが明日だとしても、種をまくことができるか?
『愛さないの、愛せないの』寺山修司

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