書物の中のアリス

切り抜かれたおばあさん

そのハサミは、見たところ、ぼくふつうのハサミと変わったところがありませんでした。そこで、アリスは、もしかしたら古道具屋のおじさんにだまされたのではないかと思いました。 なぜかといえば、おじさんはお釣銭をくれなかったからです。アリスは、ハサミを買ったお釣で猫のけむりに、ビスケットを買って帰るつもりでした。
そこで、「お釣は?」ときくと、古道具屋のおじさんは首をふって「ない」と答えるのです。
アリスは、びっくりして、
「こんな錆びた中古のハサミがそんなに高いの?」
とききました。するとおじさんは言いました。
「これは、ただのハサミじゃないからね」
それからアリスの手にもっていたハサミをちょっと手に持って、
「ちょっと見てごらん」
と言いながら、砂男のように目玉をギョロつかせ、かたわらの絵本をとりあげました。それは七ヶ月も売れ残っている鳥の絵本で、表紙には印刷のずれた一羽のずれたモズのペン画がのっていました。おじさんは、その表紙のモズをじっと見ていましたが、おもむろに、ハサミで切り抜きはじめました。すると、切り抜かれてゆく途中からペン画のモズはバタバタと羽ばたきはじめ、切り抜き終わったところで一声高く、チチチチッと叫んだかと思うと、古道具屋の店先から、青空めがけて、飛んでいってしまったのです。

「どうだね?」
と得意そうに、古道具屋のおじさんは言いました。
「ものハサミに切り抜かれたものは、みんな生き返るようになっているのさ」
それで、アリスはこのハサミを買うことに決めました。
「けむりや、とてもおもしろいハサミを買って来たのよ」
と、アリスは言いました。
「さあ、見ててごらん。おまえのお友だちを作ってあげますよ」
アリスはアパートの寝台に腰かけて、猫のけむりにそう話しかけました。それは猫のけむりが、上手に腕を組めるようになったことへのほうびのつもりだったのです。猫のけむりは、アリスの買ってきたハサミを、こわがって、一度は寝台の下に逃げこみましたが、それが自分のひげを切るためのものではないとわかると、安心して近よって来ました。

アリスは、「猫の絵本」をひらいて、上機嫌で、そこにのっている猫の絵を切りはじめました。一匹、二匹、三匹。たちまち、部屋は猫でいっぱいになってしまいました。切り抜かれた猫たちは、けむりとそっくりの声で、ミャーオ、ミャーオとなくのでした。
「さあ、けむり。これでおまえはもう、ひとりぼっちじゃなくなったわね」
と、アリスは言いました。
「これからは、月夜にヒステリーを起こして、ヴァイオリンの上を飛んだりはねたりしないでちょうだいね」
切り抜かれた猫たちは、けむりのミルク皿に集まって、ごくごくとミルクを飲みはじめました。
でも、かなしいことに、表は、ほんものの猫そっくりなのに、裏には英語の文字が印刷されているのです(たぶん、裏のページは著者の解説かなにかだったのでしょう)。

そのあくる晩、アリスは、こんどは絵本の最後のページにのっている、孤独なおばあさんを切り抜くことにしました。猫の煙に、たくさんの友だちができたため、アリスの相手をしてくれなくなったのが原因です。アリスは、おばあさんを切り抜いて、その友だちになろうと思いつきました。見たところ、そのお婆さんは、茎やかましくもなさそうだし、ホウキにもまたがっていなかったので、安心だったのです。

アリスは、ハサミを成就に使って、お婆さんを切り抜きはじめましたが、ペン画のお婆さんは、なかなかデリケートに描かれていたため、ハサミで輪郭を切ってゆくのは、思ったよりむずかしいことでした。
そのうち猫のミルクの鍋が煮立って、ぐずぐず音を立てはじめたので、アリスはそっちのほうへ気をとられてしまい、手もとがすべってお婆さんの鼻を切り落としてしまいました。
「あら、まあ、ごめんなさい!」
びっくりしたアリスは、切りそこなった鼻を、ノリでくっつけようとしたり、セロテープでつなぎあわせようとしたりしてみましたが、うまくいきません、とうとう、鼻のないお婆さんを切り抜いてしまったのです。
切り落とされた鼻のほうはどうなったか、と言うのですか? それは、アリスの手の上で、かなしそうにひくひくと匂いを嗅ぎまわっていましたが、どこかへ行ってしまいました。顔のない鼻の怪奇な放浪の話は、またべつの機会に書くことにしましょうね。さて、切り抜かれたお婆さんは言いました。
「アリスや、おまえは絵ばかり切り抜こうとするから、そんな失敗をするのだよ。文字を切り抜きなさい、文字を。絵は、目に見えるものだけしか生き返らせることはできないけれど、文字はどんなものが飛び出してくるか、楽しみがいっぱいあるからね」
言われてみると、その通りでした。試みにアリスは、かたわらの童話集を手にとって、

もしも願いごとがお馬だったら
浮浪者はそれに乗るだろう
もしもかぶが時計だったら
ぼくはそれを腰にさげるだろう

という一篇の唄の最初の二行にハサミを入れてみました。すると、本のあいだから馬にまたがった一人の浮浪者が出てきて、「ありがとう、ありがとう」とアリスに手をふりながら、遠ざかって行くのでした。
そこで、アリスは三行目は慎重に(そして、ほんの少し意地悪に)かぶという二文字だけ切り抜いてみました。すると、小さな本のあいだから、本より大きくて真赤なかぶが、ころがり出てきました。そこで、アリスは、こんどは、時計という二文字を切り抜いてみました。すると、やっぱり音字ことが怒ったのです。本のページとページのあいだで、チック、タック、本全体をゆるがすような鼓動がはじまり、ピカピカの懐中時計がすべり落ちて来たのです。
「まあ、死んだおじいちゃんのよりも立派だわ」
とアリスは言いました。でも切り抜かれたお婆さんは、あんまりいい顔をしませんでした。
なぜなら、この詩の意味は「かぶ」が「時計」と同じものだとしているのであって、ほんとうは「時計なんか存在していない」という詩だったからです。それなのに、アリスは欲ばって、かぶも時計も両方手に入れてしまったのです。それからアリスは、すっかりおもしろくなってしまって、いろいろな文字を切り抜いてみました。羅針盤、モロッス犬の歯で作ったボタン、緑色の髪の少年の人形、ねじ巻き式のお母さん、まだ色を塗っていない風見鶏、笛吹きパイパー、レース編みの暦・・・生き返ったものたちで、アリスの部屋はいっぱいになってしまいました。

「わあ、出てきた」「わあ、楽しいわ」と、アリスはハサミを持ったまますっかり夢中でした。猫のけむりは、アリスの切り抜こうとする本を飛びこえては、ほんの少しやきもちをやきながら、それでもアリスといっしょになってはしゃいでしました。

問題はそのあとです。さまざまな文字を切り抜いているうちに、アリスは、ほんのちょっとした好奇心から「愛」という字を切り抜いてしまったのです。
もちろんアリスは愛がどういうかたちをしているか見たことがないので、とても興味があったのと、なんでも生き返らせるハサミをちょっと困らせてやりたいという、いたずらっ気がはたらいたのかも知れません。ハサミは、愛という字をゆっくり切り抜いてゆきました。そして切り抜き終わったとき、アリスは思わず、
「あっ!」
と叫んで、気を失ってしまったのでした。
さて、アリスの切り抜きのかなしいお話は、この先を読者のあなたにつづけてもらわなければならなくなりました。愛という字は切り抜かれて、いったいどんなかたちになって出てきたのでしょうか?

1 得体(えたい)の知れない(キングコングのような)怪物であった。
2 なにも出てこなかった。
3 あかい林檎がころがり出てきた。
4 ひとすじのけむりが立ち上った。
5 愛という活字のままであった。

こたえは、あなたのノートのいちばん最後のページに書きこんでおいてください。

アリスが消しゴムに恋をした

そうです。これは消しゴムに恋をしたアリスが書いた詩なのです。

消しゴムは
何でも消すことができます
おしゃべりなみつばちやハンプティ・ダンプティのおじさんを
消してしまうことができます
アリスが猫のけむりをつれて隣の庭まで
藺心草(いぐさ)をぬすみにゆく夜
見張りのお月さまを消して
まっくらにしてしまうこともできます

アリスのきらいなものは
なんでも消してしまうことができる
三月も七月も九月も
七日も十一日も二十三日も
ありとあらゆる日付を消してしまって
なにもかも思い出に変える
消しゴムは魔法の力をもっているとも言えます
アリス
と書いて 消すと
この世からアリス一人がいなくなる
消しゴムは
ときどき殺し屋でもあるのです

でも
消した余白に、また
アリス と書く
そしてまた消す また アリス と書く
そしてまた消す また アリス と書く 消す 書く
すると
アリスはいつまでもそこにいられるのに
計ゴムはだんだんすりへって
なくなってしまうのです

消しゴムがかなしいのは
いつも何か消してゆくだけで
だんだんと多くのものが失われてゆき
決して
ふえるということがないということです

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上に6行分のすばらしいことばが書いてあったのを、消しゴムが消してしまいました。さあ、なんて書いてあったのでしょうか? 思い出そうとしてもアリスは思い出すことができません。どうかかわりに考えてあげてください。

ひとはだれでも、実際に起こらなかったことを思い出にすることも、できるものなのです。

 

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