さあさあお立ち会い 天井桟敷紙上公演 怪優奇優侏儒巨人美少女

 1969年1月15日初版(定価580円)徳間書店/装丁者:栗津 潔 イラスト:辰巳四郎


この本は、天井桟敷第2回公演「大山デブコの犯罪」の脚本と、舞台写真、俳優の写真、イラストで構成されています。資料としても貴重なものでしょう。巻末には、当時の天井桟敷のスタッフの若き日の写真が掲載されています。寺山修司、横尾忠則、東由多加、和田誠、萩原朔美、九条映子、コシノジュンコ。「大山デブコの犯罪」(肉体版「真夏の夜の夢」)のポスター写真もあり、新宿・末広亭で行われたことが分かります。美術:横尾忠則、音楽:和田誠、演出、東由多加。花桟敷:700円、暗闇椅子:500円、天井桟敷:400円、立ち見:200円というのも、時代を感じさせてくれます。青森・三沢にある寺山修司記念館に展示してある書籍の一つ。


「あとがき」はなし。最後に「天井桟敷とは何か」という寺山修司の日誌があります。


 

「天井桟敷とは何か」/出発の日誌

ある日、私は考えた。少年時代に観た見世物小屋のことが、どうしても忘れられない。火を吐く男、人間ポンプ、ろくろ首、熊娘、そして侏儒や怪力男や美少女が、二十才になっても、しばしば私の夢の中にあらわれては、奇妙な音楽をかきならすのはなぜであろうか。ロートレアモン伯の詩「マルドールの歌」。その中の、

「国から国へとさすらって、こどものときから一種の狂気を育て、また、極端な本能的残忍性をもっていて、じぶんでも恥じているが良心も苦にするあまり死んでしまったのだと信じている者もある。また若かりし日に、ひどいあだ名の烙印で辱しめられたせいなのだと主張する者もいる。つまり彼の痛めつけられた誇りは、幼にして早くも現れ、しだいに増してゆく人間どもの邪悪さの証拠をまざまざとそこにみせるのだ。そのあだ名こそは、吸血鬼。ああ、お母さん、ぼく、怖い」

という一節に接して、「これは子供の頃観た、私の見世物幻想ではないだろうか」と思っていた日々がなつかしい。しかし、近頃劇場に芝居やショウを観にいっても「かわいそうなのは、この子でございます」式の見世物の伝統はうすれ、いたずらに、「しっかりものの世直し思想」ばかりが支配しているような印象をうける。
どうやら芝居は「見られるもの」から「見せるもの」へと交代するときに、一番大切なものを失ってしまったような気がするのである。「奇異珍事録」(木室卯雲)などを読むと「奇獣をとらえた力持ち、米俵を持って曲をなした力婦や人間大砲」のことが面白おかしく書いてあるが、現在のヒーローやヒロインは、そうしたロマネスクとは縁遠い「なやまる現代人」ばかりで、ちっとも夢への渇きをいやしてくれないのである。男装劇の「宝塚」、女装劇の「歌舞伎」には、わずかにそうした名残りを見て取れるが、大半のものは、とくに新劇は、あまりにもみすぼらしい。
そこで私は、自分で見世物の復権をはたしながら、「見られる見世物」の悲しみを「見せる見世物」のヴァイタリティにうつしかえてみたい、と思うようになった。まず、私のマンションの二階を演劇実験室として改造し、「天井桟敷」と命名して、そこで見世物の研究をはじめようと思った訳である。
(中略)
ただ、「見せる」ということと「見られる」ということは、これは一枚の銅貨の裏と表のようなものであって、俳優たちがどんなに主体的に生きていこうとしても、この全面を十全にあらわすためには、人生の生輪といったものが必要なように思われる。 若くしてナルシズムの旺んな俳優たちは「見せる」ことばかり熱中して、そこに存在していない世界の中に耽溺し、見る側からすれば何一つ「見えていない」といったことになってしまうことさえある。若い俳優の自意識が、ときにまったく上げ底の人間しか演じられないのは「見られる」要素を忘れてしまっているからである。だが、老優の「見せる」ことを忘れた被害者的「見られ方」というのも、観客にすれば不愉快なもので「一体何を見せたいのだ」と声をあげたくなることさえある。「かわいそうなのは、この子でござい」とか「親の因果か子に報い」といった見られる思想を、どこまで見せる思想と統合できるかに、私たちのテーマがかかっている訳である。こうして、天井桟敷は出発した。といってもその中味は、私とデザイナーの横尾忠則と早大中退の演出家志望の東由多加、早大生で私と「あなたは」などのテレビ番組を作った高木史子の四人で、あとは家出少年や、フーテンばかりであった。
(中略)
かつて生首娘、熊娘と蟹娘、三人猿(好色畸人見世物談義)が英雄であった時代があり、やがて畸型は消え、コンクリートスマイルの平均的な無性格という新畸型種がはびこるような状況がやってきた。そこでは、平和への願いが生の充足としてではなく、単に「長生き」の問題としてのみしか扱われなくなった。だから血が出たというだけで羽田事件が物議をかもし、「流血」が、無事の暗黒以上の非難を浴びたりするのである。
「生が終わって死がはじまるんじゃないよ。生が終われば死も終わるんだ。死はいつでも生の中に包みこまれているんだから」
これは「天井桟敷」の「花札伝綺」の中の葬儀屋の女房おはかの台詞である。私たちは死をはらまないで生を生かすことは出来はしないだろう。運動の中に於いても、それは自明の理、というものである。「天井桟敷」の幻想の座標軸は、いわばそこを原点として始まっているのである。


 

  

カテゴリー: 1.書籍 パーマリンク