時代の射手


1967年10月30日初版(定価580円)芳賀書店/カバー写真モデル:状況劇場・麻赤児


小生のコレクションのきっかけとなった作品。中央線の西荻窪の古本屋で見つけ、「探せば絶対に見つかるはずだ」と神田・神保町ではなくて、中央線沿線の古本屋にターゲットを絞って探し回りました。


目 次:

  • 東京零年
    プロローグ/彼らの一分間/話しかける彼ら/「自分の中の他人」/わがフロイド的自伝/幻の性/無宿詩集/林檎と私/死者の書/時をたぐり寄せる/家庭の冬/眠り国にて/ヒューマニズムの亡霊/賭博は道徳のゲリラ/遊戯者の緊張/ある競争/心は寂しい狩人/空想の劇場/俳優孤立のすすめ/プリンと平和/見てしまった夢/自殺した男/たかが一冊のマンガ本のために/友情何するものぞ/人間勃発/太陽族はどこへ行ったか/
  • 詩学
    野菜的幻想/詩は肉体そのもの/詩人の肉体と社会生活/無名と階級の論理は詩に適用するべからず/カメラによって(何を燃やす)/ものの投入/逃亡者の復帰/音としての言語
  • 伝統詩としての短歌の行方
    モダニズムと短歌をめぐって/短歌と民衆をめぐって/短歌におけるナショナリズム

(「あとがき」なし)


音としての言語(抜粋)
ジャズシンガーのアン・リチャーズが来日したときに、彼女は自作の詩を読んで聞かせてくれたあとで、私の短歌を是非読んでくれと言った。私は「血と麦」という私の歌集を贈呈して「短歌というのは日本語特有の諸形式であって、翻訳は不可能である」と言ったが、彼女は「翻訳などしなくてもよい。日本語で読んでくれれば、感じることが出来ます」と言うのであった。私は仕方なしに、意味としてではなく、「音」として自分の短歌を詠み、意味の大要だけをあとで説明した。しかし、おもしろいことには、彼女の評価は大半は私自身の自作に対する評価と似たものだったのである。私は、言文一致以後の詩語というのは、案外、意味と音のズレの中に可能性を残しているのではないか、と思ってみたりした。ほんの少し、意味と音とがズレるだけでも、言語は指示的機能から解放されるかも知れないからである。
イタリア賞のグランプリをもらった私の放送叙事詩「山姥」(NHK制作)についても、同じことが言える。審査員はフランス語に訳されたテキストを読みながら、日本語の定型詩をはさんだ私の叙事詩を「音」として聞いたのだ。ここでは言語を、意味と音都に解体して、そのズレの間に余情をさがすという楽しみで、作品を過大に評価することができたのかもしれない。(私はこうしたズレの間に余情をさがすたのしみを、洋画から学んだ)
スーパー入りのヨーロッパの映画をみるたのしみは、読書でもなければ観劇でもない。まし日本映画とはまるで違った詩の世界を私たちにしめしてくれたものである。なぜなら、私たち日本人は観念を文字で習い、意味の伝達を話しことばから学ぶという習慣を持っていたが、ヨーロッパの映画は、日常行為のフィルムへの観念伝達の可能な文字幕をくっつけてくれたのだ。たとえば、アンドレ・カイヤットの「火の接吻」という映画では、アヌーク・エーメの演ずる女優の卵が、ひどくみすぼらしい無一文の恋人に哲学をささやいているような印象を与えてくれた。しかし、つい先日この作品がアテレコされて(日本の声優に吹き替えられて)テレビから放映されたのをみたら、形而上学などどこかへ吹っ飛んでしまって、ひどく日常的なメロドラマに変わってしまっていたのである。文字としてみれば観念的なことばも、声優の口から話されると、たちまち凡俗な会話に変わってしまうらしい。少なくとも「話しことば」の機能性と「詩のことば」の反機能性は相いれぬものなのだ。だから、戦後詩の大半は、話ことばを捨てて、文字による観念伝達の方へのめりこんでゆき大衆から難解だとされて見捨てられてしまっている。
しかし、「目で見る言葉」も「音としての言葉」も、それが言葉であるかぎりは大切なのは詩の原材であり、片いっぽだけでは変則的なのは自明の理である。私は、日本の詩が形式を捨てて散文化していってしまったり、言葉のクロスワード遊び記述化してしまったりするのではなく、「音」を回復しながら高い精神を目指せるようなものでありたいと思っている。「音」として、朗読にも耐えながら、なお日常の話ことばを超えてゆくところに、詩の伝達の可能性が残されていると思うからである。
イタリアで理解される日本の詞の「音」が、日本で理解されない訳はないではないか。

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