1センチジャーニー

少女はアリスといった。少年はテレスといった。二人がいっしょにいると、アリスとテレスがいると、みんなが言った。そしていつのまにか、「と」が名前の一部になってしまって、「アリストテレスがいる」ということになるのだった。二人は世間でいう恋人同士だった。だがアリスは二人の恋が、決して永遠でないことを知っていた。なぜなら、アリストテレスはその学説のなかで言っていたからである。

「最もすぐれているものは包むものであり、完結されるものというよりは限界である」と。

アリスは本屋で働いていた。アリスの楽しみは。本棚の背表紙を(主人に見つからないようにこっそりと)並べかえることであった。例えば「家なき子」が「フランケンシュタイン」と並んでいる場合には、ちょっと抜き出して「足ながおじさん」の隣へにもって行ってやった。「影をなくした男」と「電灯の歴史」を並べたり、二冊の「ある愛の詩」のあいだに「笑い猫」をはさみこんだりするいたずらも楽しみのひとつであった。
アリスは、どちらかといえば、新刊書よりも古書が好きで、それも仔羊皮で装丁され、羊皮紙に手書き文字で書き込まれた古い詩集などがお気に入りであった(だから、そうゆ本はなるべく売れないように。眼のとどかない最上階の隅っこなどへかくしておいたのである)

テレスは鏡屋の職人だった。さまざまな鏡をみがいておくのが仕事である。裏通りの鏡屋
「まばたき亭」には、手鏡から壁一面の鏡まであって、それぞれに値段がついていた。たとえば何人並んでも自分だけしかうつらない鏡や、二人がその前に立っても犬になってうつる鏡、自分の死顔だけをうつしてくれる鏡、さまざまな鏡があって、それをいつもピカピカにみがいておくのである。もし売れたらそれを相手の家まで配達してあげるというのが仕事である。ときには、書いての希望によってフレームをつけかえたり、大きすぎる鏡をけずったりすることもある。いちばんよく売れるのは「スノウホワイト」という名の、だれもが世界一の美人になってうつる、という鏡であった(そしてテレス、もしお金がたまったらこの鏡を買ってアリスにプレゼントしてやりたいと、ひそかに思っていたのであった)。

アリスとテレスとお月さま
全部そろえば ものがたり
ひとつ欠けても ものがたり
ふたつ毛kても ものがたり
全部欠けても ものがたり
ペンをいっぽんいかが?

そのアリスがいつものように公園で待ち合わせているとテレスが遅れてやってきた。おや、とアリスは思った。自分が高い靴をはいているわけでもないのに、テレスがいつもより少し背が低く感じられたのである。
おかしいわ、とアリスは思った。あたし、背が伸びたのかしら? いつも二人で並んで歩くとアリスの髪がテレスの頬にふれる高さだったのに、今夜にかぎってアリスとテレスの頭がふたつ同じ高さになって髪と髪、頬と頬とがくっつくのである。
お月さまのいたずらかしら、とアリスは思った。それともアリストテレスが言ったように、「自然はつねに、ある部分からとり去ったものを他の部分に与える」のかしら。
アリスはさっそく、「ありとあらゆるもののサイズ全科」という本をとり出して人間の伸びちぢみについて調べた。それから「なんでもはかります商会」に行って自分の身長をはかってもらった。その結果、アリスの身長にはなんお変化もないということがわかった。となるとテレスの身長がちぢんだことになる。

テレスはなまけもの
靴を片っぽはいたまま
ズボンを半分はいたまま
むぎわらぼうしをとりおとし
おやすみぐうぐう
眠っている間に世界の
背がのびた

信じられないことだが、テレスの背がほんの少し低くなったというのはほんとのことだった。そしてそれは二日目にはさたにはっきりし、三日目にはテレスの背がちぢんでいることが明らかになってmもう、なにものの力でもふせぐことができなくなった。テレスは「だれもがもとの姿にうつる鏡」の前で途方にくれながらも、「ぼくがちぢんでいるのだろうか? それとも、ぼく以外のすべてのものが、ふくらみ、伸び、大きくなっているのだろうか?」 と、考え込んでしまうのだった。

アリスとテレスが会っても、今までのようにしあわせなひとときを持つことができなくなってしまったのは、とても残念なことだった。しかし、自分の膝の高さぐらいになってしまったテレスの手を引いて行くアリスは、まるでチンパンジーをつれて散歩しているようにしか見えなかった。だから、二人が今までのようにダンスホール「ダークムーン」に入って行くのを見て、通りすがりの三文浮浪者は、うしろ指をさして笑った。「あれまあ、猿まわしが、ダンスを踊りに行ったよ」

そらまめが病気になったら
そらまめの医者を呼べばいい
そらまめが死にたくなかったら
パチンと割ってとびだすさ
何のはなしか
おわかりか

そして、こうしているうちに、とうとうテレスの身長は四十センチになってしまった。もはや、どんな鏡も、テレスを気の毒がって、うつそうとはしなかった。テレスは自分がどんなふうに小さくなってしまったのかを、自分で見ることができなくなった。テレスは、小人ばかりの「四十センチ倶楽部」から入会の勧誘をうけたが断った。長いあおだつとめていた鏡屋「まばたき亭」もやめた。そしてアリスとも会わず、一人で部屋にとじこもってばかりいた。
ひどく無口になったが、アリスを愛していなくなったわけではなかった。むしろ、ますますアリスへの愛はつのっていった。だが、あまりにも二人の大きさの差が開きすぎたので、会うのがこわくなったのである。

「ねえ、どうして¥会ってくれないの」
と、アリスは電話で言った。
「会いたくないんだよ」
と、テレスは答えた。
「きらいになったの?」
と、アリスが言った。
「・・・・・・」
「なにか言って?」
「ぼく、また小さくなった。今じゃもう、十センチぐらいしかなくなった」
「かわいいと思うわ」
「・・・・・・」
「どうして会ってくれないの?」
「同情されるの、いやなんだ」
「えっ、なんて言ったの?」
「こうして話してても、受話器を持っているのがつらい。受話器は重いし、それにぼくの何倍も大きいんだ。ぼくは、もう小さいし、細いし、半分使った色鉛筆みたいなもんだ。もう、会っても愛しあうことなんかできない。第一、キスをしたら口の中へ吸い込まれてしまう。近頃じゃ、蠅がこわい。蠅がぼくを追いまわすと、まるでヘリコプターに狙われているみたいな気がする。
ちょっと風の強い日は、すぐ吹き飛ばされるし、もしだれかがくしゃみをしたら、ぼくはどこへ飛んで行ってしまうか、わからないくらいだ。こないだなんか『ナルニア国ものがらり』を読んでいたら、風が吹いて来て、ぼくはページと緒エージのあいだにはさまれたまま、出て来られなくなった。悪いけど、もうぼくのことなんか、忘れてくれ、このままだと、ぼくは一センチよりももっと小さくなって、消えてしまうのは時間の問題だ」

ちいさなちいさなエンピツに
ちいさなちいさなはなさいた
ちいさなちいさなだいじけん

そんなある日、アリスは新聞の片隅に不思議な広告を発見した。そこには、こう書いてあった。
「一生に一度だけ、あなたの願いをかなえてあげます。ただし、ほんとに愛しあっている最中の人に限ります。先着三人様まで。・・・ひとさし指の友」
アリスは、はじめはでたらめだろうとい思った。しかし、藁にでもすがりたい気持ちだったので、ひとさし指の友をたずねてみようと思った。もし、そのために自分の持っているものすべてをあげても願いがかなうものなら、もう一度テレスと二人で楽しい日々を送りたかったからである。
「ほんとに愛しあっている最中の人」なんて、めったいにいるものではない、とアリスは思った。そして新聞の広告に載っている住所の裏町のあやし気なジプシー宿に、ひとさし指の友をたずねあてた。
「ある人のからだを大きくして欲しいのです」
と、アリスが言うと、ひとさし指の友は首を振った。
「願いごとは自分のことでなければいけないよ」
と言うのである。そこでアリスは、「自分の体を一センチまでちぢめてほしいと言った。
「テレスとはじめて会った日、わたしたち二人の愛の記念日が、もうすぐやってきます。その日、わたしたちは公園の七番目のベンチで会う約束になっています。お願いです。その日、わたしのからだを一センチちぢめてほしいのです」
すると、ひとさし指の友は、三つの条件を出した。
一つ、このあと絶対に他の人を愛してはいけない(つまりこのあとの愛は全部自分がもらって、自由に使う)。二つ、願いがかなえられたらもう取消すことはできない(後悔してもだめ)。三つ、今の愛がにせものならば、願いがかなえられない。その場合には決してひとさし指の友を恨んではいけない。

というものである。そのうえで、持っている財産(お金になりそうなものすべて。指輪、靴、帽子など)を置いて行きなさい。それをきいてアリスは少し不安になったが、それでも思い切って言った。
「全部、さしがえます。どうか願いをかなえてください」と。

アリスとテレスとお月さま
全部そろえば ものがたり
ひとつ欠けても ものがたり
ふたつ欠けても ものがたり
全部欠けても ものがたり
ペンをいっぽんいかが?

そしてとうおとう二人の約束の日がやってきた。朝、目をさますとアリスはひどく重い板の下じきになっていると思ったのだが、じつは毛布の下で自分のからだが一センチにちぢんでいることに気が付いた。
「ああ、とうとう願いはかなえられたわ」
と、アリスは叫んだ。これで二人は一センチどうしの恋人になれた。きっと以前のように仲良くやってゆけるでしょう。アリスはきれいに化粧し、思い出の公園へと出かけて行った。テレスは、なんて言ってびっくりするだろう、と思うだけでアリスの胸の中が熱くなった。
やがてプラタナスの木漏れ陽の向こうから、テレスがやって来た。だが、見るとテレスは
もとのようにすっかり大きくなって、手にアリスへの贈りものの花束を持っているのだった。アリスはおどろいてテレスを見上げたが、テレスは気がつかなかった。
「びっくりするだろうな」
と、テレスはひとり言を言った。
「こうやってぼくが願いごとをかなえてもらって、またもとどおりの大きさになったと知ったら、アリスはいっぺんに百もキスしてくれるかもしれないぞ。今日こそ、あらためて結婚を申しこんでやる」
それから腕時計を見て、首をかしげた。
「それにしても遅いな。アリスのやつ」
そのテレスの足もとで踏みつぶされないようにしながら、あたしよ、テレス。あたしは、ここにいるわ、と言うこともできずに、アリスは涙ぐんでいた。

ああ、なんという行きちがいだろう。テレスひうとさし指の友に願いごとをかなえてもらうということを、予想しなかったのである。アリスはつぶやいた。
「やっぱりだめだったのね、あたしたち」

大きくなったテレスを見上げながら、アリスはその靴のまわりをかげろうのようにゆらゆらと行ったり来たりしながら、自分がだんだんと小さくなって消えてゆくのを感じていたのである。

(完)

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